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2020年12月18日

遠い記憶「ノースショアのフリフリチキン」

高田純次がノースショアを歩いていた。ハワイにいても彼の芸風は変わらない。相変わらず、バレバレのウソを織り交ぜ、軽薄なトークで若い女性ガイドを困らせていた。実を言えば、年をとって、あんなジジイになれたら世界が変わるかな、などと憧れる面も、少しある(笑)。
番組のカメラは、今のノースショアを丁寧に撮影していた。30年ぶりに訪れた高田純次は、当時の景色と違って、ものすごい観光地になった様子に、とても驚いていた。実はその感想は、僕も全く同じで、街の変貌ぶりに僕も驚いていた。
彼が、昔はああだった、こうだった。ここは何もなくて原っぱだった、ぽつんと小屋が立っていた・・・、と語る思い出話に、いちいち僕はうなずきながら番組を観てしまった。ほとんど忘れているのだが、番組のカメラは僕の「遠い記憶」も同時に拾い上げたようだ。

ノースショアはオアフ島の最北部のエリアで、当時はサーフィンのメッカだった。というよりビッグウエンズデーという青春映画のロケ地となったことで、サーフィンファンの聖地になり、一大観光地になっていったのだと思う。
30年前?の僕は、シゴトの中休み?に、ある映像チームと一緒に?海の景色や波のシーンを撮影しようと、レンタカーで訪れた、と記憶している(自信のない記憶だが)。カメラマンは通称ベーカム(ベータカム・当時の最新型カメラ)を肩にしょって、撮影にいそしんでいた。実際にその時撮った夕方の映像が素晴らしいものだった、と思い出した。
フリフリチキン、ガーリックシュリンプ、シェイブアイス、この3つのハワイ・ローカルグルメは、記憶が正しければ、ここノースショアが発祥地だ。まぁそんなことを当時知っていた訳ではないのだが、なぜか3つとも、ここで食べていた。サーファー御用達のグルメだったからだろう。食いしん坊の僕ならではの記憶なのかもしれない。

フリフリチキンは、広場の隅のトタン屋根の質素な建物の下で、炭の直火で豪快に焼く串焼きだった。まぁ串焼きなのだが、串は太い金属製で、刺してあるのは鶏の切り身ではなく、大きな丸焼きだ(笑)。そんなスモーキーなチキンの丸焼きを、これまた豪快に中華包丁?みたいなナイフでガンガン切り分けるのが面白かった。そんなハワイ流のチキンのバーベキューは、安っぽい容器に入っていたと思う。同封されるプラスチックのフォークは、すぐに折れて役に立たず、手づかみで食べ、汚れた指をコーラで洗った記憶がある(笑)。
ガーリックシュリンプはトラックの荷台で売られていた。名前の通り、海老のガーリック炒めなのだが、食べたのは弁当として売られていたやつだったと思う。レモンバターで食べる海老は旨辛いだけで、横のバターライスの味はいまいちだった気がする。
シェイブアイスというのは、いわゆるかき氷だ。まぁザラザラした固い氷のやつだから、日本のそれとは違う。凄いのは色だ。原料は何か知らないが、とにかく、どぎつい色で、3色のやつを、なぜかレインボーって呼んでいたように思う。

番組で観たら、チキンは自動化され、勝手にグルグル回っていたし、ほっ立て小屋だったマツモト・シェイブアイスは、巨大なグッズ販売店になっていた。観光のチカラはすごいんだな、と考えさせられた。
当時、僕と同行したカメラマンは、今では金沢で有名な映像制作会社の重役で、番組やCMを手掛けている、あの人だと思う。たぶんそうだと思う。ずいぶん会ってない彼を久しぶりに呼び出して、当時の思い出話をしたくなってしまった。でも僕の記憶はあてにならない、彼でなければ、ただの迷惑な誘いだ。おっさんの記憶はあいまいだからな。せめて、鶏モモ焼きか何かを買って、ハワイの映像でも観るのが関の山かな。

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