散歩の途中で「本多さんと三太郎」
見上げた空には雲ひとつない。もうすぐ梅雨入りの頃だというのに、気持ちがいいほどの青空だった。まさか、今年の梅雨が、こんなに長引くなどとは、まったく思いもつかなかった。青空に浮かれた僕は、特に理由はないのだが、鈴木大拙館へ行きたくなった。失礼な話だが、鈴木さんが何の人かは知らない。知っているのは設計者の谷口吉生さんのほうで、彼の代表作を観たくなったのだ。
いつもの散歩気分で香林坊の駐車場に車を止めて歩くことにした。詳しいことは調べてないが「目的地は本多町だ」と、いつものように歩き始めた。まずいことに気温は、すでに30度を超えている。真夏日の散歩になってしまった。ちょうど昼時なので更科藤井の暖簾に目が行ってしまう。こんなに暑い日には、うまい蕎麦が食べたい(笑)。
そんな散歩は柿木畠を抜け、歌劇座横の石亭の前を通って、県立図書館へと続いた。この図書館の建物の「昔の呼び方」が、なかなか出てこない。桜丘美術部の展示会の会場だったのに、名前が思い出せない(笑)。警備員のおじさんとか受付の人にでも聞こうか、などと建物に入るときになって思い出した、社教センター?だったかな。
鈴木大拙さんは仏教哲学者なのだそうだ。建築物としては、鈴木さんの学問や思考を深く掘り下げるような世界観なのだろうか。小立野台地の緑を背景にして、石垣や池の水面を配した一種の回廊になっていて、池の中央に「思索空間」とよばれる小さな建物が配置されている。ここのベンチに座って、静かに思索を楽しむような設計なのかもしれない。僕たちのほかに、若い女性が一人いたのだが、たしかに女性の一人旅に似合いそうな空間に思えた。
回廊のような小路は、施設の周辺にもあって、中村なんとか記念館の看板をめがけて歩いて行った。きれいな小路だ。この一帯は「本多の森公園」と呼ばれているらしい。名前は聞いたことがあるのだが、訪れたのは初めてだ。小立野台地の下のキワを歩いていくと、滝の水の音が聴こえてきた。そこにそそる階段があって「歴史の小径」と書いてある。どうやら台地の上の県立美術館まで続くようだ。流れる汗をふきながら緑のトンネルを登ることにした。でもやっぱり暑いなぁ(笑)。
案内板には、加賀八家「本多家」屋敷跡というタイトルと、本多家のことが詳しく書かれている。初代の本多政重は、あの本多正信(家康の謀臣として関ケ原の戦いの謀略戦で活躍した有名な武将)の次男で、諸国を渡り歩いた後に前田家に仕えたらしい。その後、あの直江兼続の養子になったりしながら、再び加賀藩に戻ってきて、定着したようなことが書いてある。徳川家との友好関係を保つための凄い人だったのかな。きっと引く手あまたの有能な人材だったのだろう。
そんなルーツの本多家は、前田の殿様に12代にわたって仕えた名家なのだそうだ。5万石という禄高は加賀藩の最高禄高だが、全国の家臣禄高でも最高禄らしい。屋敷の広さは一万坪というから、広大な屋敷だったのだろう。詳しくは分からないが、この屋敷から県立美術館までの小径や石段を登って、お城に登城していたのかもしれない。裃(かみしも)の後ろ姿が目に浮かぶ(笑)。
地元に住んでいながら、知らないことはたくさんある。ちなみに前述の鈴木大拙さんは、同じ学校出身の西田幾多郎、藤岡作太郎とともに「加賀の三太郎」と呼ばれていたらしい。3人がどんな人なのか知らないのだが、テレビCMのキャラクターと同じ呼び方なので、少しだけ近親感を覚えた(笑)。僕の興味は、まるで子供レベルだな。