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2021年03月19日

ふ~ん、お風呂文化ねぇ

新竪町の銭湯のことを思い出した。
その昔、バイト先の香林坊の店には、月に1度くらいだったと思うが、日曜日の早朝に集合して、近隣の道路の掃除(ゴミ拾い)をするという行事があった。たしか「朝そうじ」というベタな名前で呼んでいたと思う。当時の僕たちには、ボランティアとか社会奉仕などという高邁な理念があった訳ではない。当日集まって、バイト仲間のフリーターや学生さんたち、そして日ごろ顔を見ないようなスタッフたちと、楽しく話をしながらやるものだった。なので若い自分たちが、そんな「ちょっとした、いいこと」をするのも楽しくて、率先して参加していた。毎回の顔ぶれは違うのだが、10人くらいで、ゴミ袋や軍手、ゴミばさみなどを手にして、周囲の歩道や植込みのゴミを拾っていくのだ。
けっこう広範囲をやるから、ゴミ袋は一杯になるのだが、作業そのものは1時間ほどで終わる。バックヤードの倉庫に集まって、無料のコーヒーとかコーラで、お疲れ様と乾杯して雑談がはじまる。中には手製のおにぎりを持ってきてくれる短大生の女の子たちもいて人気だった。その行事はけっこう長く続いたと思う。その後は、掃除の後に、中央公園や犀川の緑地で軽いスポーツに汗を流すようになったり、ときには男同士で銭湯へ行き、朝風呂を楽しむこともあった。

ある日の朝の旅番組で、日本各地の銭湯や公衆浴場の特集をしていた。〇月〇日の「お風呂の日」がきっかけらしい。何とかという社団法人が日本のお風呂文化のユネスコ無形文化遺産登録を目指して活動しているのだそうだ。
ふ~ん、お風呂文化ねぇ、特に興味があるわけではないのだが、そんな若い頃の銭湯での朝風呂のことを思い出していた。みんなで通った銭湯のひとつは、新竪町の商店街もはずれにあった。たしか「ひろみ湯」とかいう名前だったかなぁ(今もあるのかどうか分からない)。
凍てつく冬の深夜、自宅の湯船に浸かるとき、はぁ~、とか、おぅ~、とか息を吐く。温泉にでも行きたいよなぁ、と思う瞬間だ。まぁ贅沢は敵だから、どこかの「銭湯」とか「公衆浴場」でも構わない。近所には温泉をうたう銭湯とか、市営?の温浴施設(これも温泉らしい)があるから、まぁ気が向いたら、行くことにしようか。

やっぱり、銭湯には老人たちの姿が似合う。桶は木製からプラスチックに代わったが、銭湯に響くコーンという桶の音は、今も変わらない。大昔の銭湯の湯船はめちゃくちゃ熱くて、子供の僕には無理だった。じいちゃんたちは我慢比べしていたのだろうか。しばらく待っていると、蛇口を開いてドバ~っと水を入れるおじさんも現れて、なんとか事なきを得る(笑)。壁には富士山の絵があるのが定番らしいが、僕にはそんな記憶はない。模様という点では、背中にモンモンを背負ったおじさんがいたのも、当たり前の光景だった気がする。
今ならアトピーということかもしれないが、子供の頃の僕は肌が弱くて、湿疹に効くという「薬湯」の銭湯へ、よく連れていかれた。いつしか一人で男湯に入るようになったし、その後は15分ほどの夜道を弟と一緒に2人で通った記憶もある。握った小銭で牛乳を買ったが、紙の蓋をこすってはがして開けるのが難しかったなぁ。記憶ははっきりしないが、フルーツ牛乳よりコーヒー牛乳の方が好きだった気がする。昔は洗髪料とか、10円ほどのドライヤーとかあったと思うが、子供の僕はどうしていたのだろう。

自宅の風呂が高機能に進化していったから、銭湯人口が減り、一方で銭湯も、生き抜くためにどんどん進化していったのだろうか。娘たちが幼い頃の家族風呂とか、サウナとか、電気風呂?とか、むしろ、銭湯は何かの家族イベントのような存在になっていったように思う。いわゆるスーパー銭湯がたくさん登場した。ブームだったから行くことは行ったが、なぜか好きにはなれなかった。子供が巣立ったわが家には、使う理由がなかったのかもしれない。
県内の温泉地の「総湯」とか呼ばれる公衆浴場にハマった時期がある。和倉から山中温泉まで足を運んだ。それぞれ地域の人たちに混ざって遠方からの利用者が多かったと思う。独自のローカルルールとか、どこも特徴があって楽しい。最近の僕は、温泉宿に泊るときは、必ず総湯へ行くことにしている。洒落た宿の風呂も、贅を尽くした露天風呂も楽しいのだが、総湯に公衆浴場の雰囲気を感じて、とても懐かしいのかもしれない。
お風呂文化ねぇ、年齢は重ねたが、風呂に特別な思いはない。小さい頃からの当たり前の風景だからだ。でも、当たり前のこの感じが、日本の固有の文化ってことなのかなぁ。

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