500円玉の行方
僕に限ったことではないと思うが、シゴトが終わって自宅に戻ると、身につけているものを、ある場所に戻す(置く)と思う。いわゆる定位置だ。どうでもいいハナシなのだが、ちょっと書いてみたい。
僕の場合は、スマホ、財布(札入れ)、キーホルダーなんかを定位置に戻す。そして次に、ジャケットのポケットから、名刺入れ、ハンカチ、目薬(僕の常備薬だ)を出して並べる。マスクはゴミ箱だ。あぁ腕時計もこのとき外すし、メガネは自宅用に切り替える。
昔は手帳とペンもあったが今はスマホが代役を務めている。仕事をしている男性なら、概ねこんな感じだろうか。当たり前だが、出掛けるときは、この順番を逆にたどって身につけることになる。書いてみると案外多いものなんだね。
僕がたぶん人と違うのは「小銭」だと思う。「小銭入れ」を持たない僕は、帰宅するとズボンのポケットから小銭を出して、バラバラとトレイに放り出す(笑)。逆に出掛けるときは、そこから100円玉だけを選んで2~3枚ポケットに突っ込む。ちょっと写真を撮ってみたのだが、実際の小銭はもっとたくさんあって、見た目は汚い(笑)。昔の誰かの旅行土産(これは木製の灰皿かな)が今の「コイントレイ」だ。小銭は山盛りなので、失敗すると、よく床に転がしてしまう。
つまり、僕はいまだに現金派だ。というより、以前のまま変わらないだけで、キャッシュレスを拒んでいるわけではない。小銭入れを使わないのは、重いのが嫌なのもあるが、ほとんど買い物をしないからだ。だから、まれにコンビニに寄ったりすると、ポケットの中は小銭だらけになる(笑)。
そんなこんなで、僕の「コイントレイ」には1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、余分な100円玉、そして時々500円玉が、わんさか溜まっていく・・・はずなのだが、実はそういう訳でもない。その小銭は、代引きだとか〇〇の集金だとか、玄関先の支払いのときにどんどん使われるからだ。さらに溜まりすぎると目に余るので、家内が処分?しているのかもしれない。それはそれで助かっている。
こんな、どうでもいいようなハナシを延々と続けたのは「500円玉」のことを書こうと思ったからだ。2人暮らしの僕たち夫婦にとって、500円玉はちょっと大事なものなのだ。価額のことというより、ゲームのようなものかもしれない。だから、ときどきトレイの中に500円玉を見つけると、家内はわざと「500円玉み~つけた」と声を上げる。「おう」と僕が応えると、その500円玉は笑顔の家内の手の中に消えていく。
消えた500円玉の行先は、専用の貯金箱だ。いつだったか持ち上げたことがあるのだが、けっこう重くなっていた。1年で相当な額になるらしい。中の500円玉の出資者は主に家内で、僕はそれに花を添えるような貢献しかしていない。この500円玉貯金の使途は「孫たちとの家族旅行」専用と決めているのだそうだ。だから1枚入れるごとに、その日に近づくことになる。家内にとっては(聞いてしまった僕にとっても)それは嬉しいゲーム、ということだ。
娘や孫たちとのそんな旅行は、こんな世の中だから、もう2年以上も途絶えている。寂しがる老夫婦に、こんな活力を生むんだから、500円玉のチカラは、けっこう凄いものなのだ。だから、わが家のキャッシュレス時代は、しばらくやってこないはずだ。あぁ、僕の小銭入れもね。